「秋田民主文学」41号(1999・2)で松田解子が矢田津世子について語っているので引用する。(佐藤好徳「松田解子と『女人芸術』」より)
「矢田さんはね、ずうっとあとに来たのよ。私の名がチョコチョコ出てからね。年も若くて、美人でさ。全然ね。これが同じ秋田県出身かとね。美しいね、独り者でさ。才色兼備ね。心も良かったね。よく矢田さんと、私も書いたものを持って、彼女も書いたものをもって新潮社に行ってみましょうってね。そうすると、当時の編集部に。宮城県出身の佐々木俊郎という農民作家がいてね。矢田さんのは次の何かに出るけど私のは返されて来るの。神楽坂を子どもを背負った私とね、当時流行った水玉模様のワンピースの、トップのファッションの若い矢田さんとね。面つきだけはものを書くという面つきをしている私と二人で神楽坂を登って行くと、みんな矢田さんに目が向いていたのよ。」
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