吉田朗さんの詩

   秋田民主詩人
  死んだあいつと
 
 
CDなんて便利なものができたもんだ
従弟からもらったものだが
メンデルスゾーンを時おり聴いている
スコットランド交響曲しか知らなかった人間が
「イタリア」もいっしょになっているので
戦死したかつての戦友を思い起こしながら
「イタリア」も聴くのである
 
ある日、半舷上陸から帰って来て
「イタリアを聴いて来た」とあいつがいった
イタリアはすでに無条件降伏していた
大きな声でいえなかった
「よかったぜ、お前にも聴かせたかった」という
横須賀のどこでそれを聴かせるところがあったか
私には見当がつかず
驚異の目であいつの顔をのぞいたものである
その「イタリア」を聴くこともなく
あいつはラバウル、私はトラック島へ転属した
地中海以上に海は青く島は陽光にかがやいていた
米軍の太平洋中央突破作戦が始まり
ギルバート諸島やべリリュー島が攻撃されていた
一九四三年十二月、まずラバウルが急襲される
翌四四年二月マーシャル諸島が玉砕した。
空中戦や海戦がしきりとなった。
横須賀の基地へ再び帰った私が
いちばん先きに知らされたのは
あいつの戦死だった
 
港に並ぶ屋根を渡る風のように
曲は軽快だった
黒髪と黒い目、ポー平原の祭りのように
明るいリズムだった
あいつは何を思いながらこれを聴いたのであろう
それから五十年以上を経て
死んだあいつと
生きのびた私が
いま「イタリア」を聴いている
 
     (「秋田民主詩人」1号、1994・2)
 
 
 
  猛る爪を雪に封じこめ
    ―さあ、一万人会員へ向かって!
 
 
雪は飛び
風は凍る
軒に食いつく雪
猛る気圧の谷
やがて寒夜はもがり笛が吠えたてる
 
やらない、といって大勝し
やめさせます、といって多数当選し
これ以上あげない、といって
五パーセントを強行した*
公約違反まみれの消費税
 
汚染の気流
ペテンの海流
政治のエルニーニョ現象
生活破壊、希望の敵
しだいに見えて来た悪魔の爪
 
なんとこの六年間
庶民のふところに手をネジこみ
吸い上げた国の手取り
二二兆三千七百万円
高齢者へはその四・三パーセントだけ**
 
増税勢力が強まり
一〇パーセントを叫ぶ党首がいる
九月の見直しでは
さらに引き上げる余地も残してある
七パーセント案もちらりほらり
 
もう許せないこのクレージー
猛る爪を雪に封じ込め
吠える悪魔を冷凍してしまおう
消費税ノーの運動を前進させよう
さあ、一万人会員へ向かって! ***
 
 *村山内閣は税率三パーセントを五パーセントに引上げを強行。明年四月実施。
 **高齢者保健福祉推進十カ年計画(ゴールドプラン)関係事業費への支出は九千七百億円(四・三パーセント)である。
 ***消費税をなくす秋田県の会の会員はいま九千七百名を数える。
     (一九九六・冬)
 
     (「秋田民主詩人」2号、1997・2)
 
 
 
 
  老人だってつらいよ
 
 
男はつらいよ
老人だってつらいよ
政治に徳性がないから
誰れだってつらいよ
心にあたたまりのない日常だもの
みんなつらいよ
 
老人はさびしいよ
戦争のつらさ悲しさに耐え
けんめいに生きてきたのに
医者にもかかれなくなるなんて
 
子どもだって女だってつらいよ
財政難といっては
福祉や教育を
切り捨てていくんだから
 
若者だってつらいさ
愛することが
この世でいちばんと思ってるのに
恋人と会うたびに
消費税だもの
 
消費税を増税するこの悪徳
公共事業でムダづかいしたり
軍事費をふやしたり
 
こんなつめたい時代はいや
青空と緑が好き
やさしい朝がほしい
朝をよみがえらせよう
消費税に反対するなかまをふやし
消費税を廃止する国会をつくって
 
     (「秋田民主詩人」3号、1997・8)
 
 
 
 
  梅の小枝箸
 
 
――梅の小枝で
  梅の小枝で鴬が
  雪の降る夜の夢を見た
 
梅の枝を切るときは
このむかしの唄を
いつも思いだす
 
こんな剪定で花が咲くのか
実がなるのか
運を天にまかせて枝を切る
 
枝ぶりを選んで
縄にぐるぐる巻き
風通しのよいところへ置く
 
夏ごろ枝の束を取出す
頭の方を十センチ残し
三十センチ程に切揃える
 
枝の先にカンナをかける
二本を組み揃え
菜箸をつくる
 
なにかと工面しながら
おまんまをつくるかあちゃんへ
愛をこめて梅の小枝箸をおくる
 
年金生活の老人ふたり
宝石など買ってやれなかった男の
かあちゃんへの(もうばばあだが)プレゼントである
 
消費税、医療費高、先行き不安
圧迫される暮らし
「小枝の菜箸は足しにはならんかな」
 
かすかな梅の枝は春の香り
少々太いが手ごたえありそう
「かあちゃんこの箸でがんばって」
 
     (「秋田民主詩人」4号、1999・1)
 
 
 
 
  風に吹かれながら
 
 
風に吹かれながら
河口の川原で語りあった人は
ある夜、突然あの世へ旅立った
春の草を摘みながら
初恋いのひとを語った遠い日の話は
いっしょにいた友人も私も
初めて聞いた話だった
いまでも初恋いの人って
どんな人間だったのかなあなどと
あの長い光る髪を思いだしながら
話をするのである
 
風に吹かれながら
朝やけの光りを浴びて
とびまわる小さな姉妹がいた
金色の波間を跳ねる魚のようだった
ある日ふたりは同胞に手をとられ
朝鮮へ帰国したが
姉妹の両親は
河口で砂利採りをしていて
船が沈没し 溺死したのだった
時おり岸辺に野の花が手向けられている
あの子たちはいまどうしているのかと
思いだすひとがいるのであろう
 
風に吹かれながら
日吉神社の祭礼の日、宵宮の朝早く
船を出して死んだひとがいる
漁を終え、帰りの河口で
横波をかぶって転覆、帰らぬ人となった
ひとは海へ帰るというが
タ暮れの土手に立つ
中学生とその母が
長い影を落として待っていたのを
いまも忘れられない
 
風に吹かれながら
正月には敬愛した詩人の茶掛を
物置きみたいな床の間へ掛けている
亡くなる一年前に送ってくれたもの
春を待って、待って
死んでいったものだが
もしかしたら死を予期していたのかと思うと
つらい気もちになる。
 
風に吹かれて
魯迅の詩を愛した書家の扁額を壁に掛けて
この磊落なエッセイストを
正月に偲ぶことにしている
私の行く末を心配してくれたこの師も
やさしいが故に惜しまれて逝った
 
風に吹かれて
私より五つ年下の弟が死んで
まもなく一周忌がくる
たいして酒ものまず
たいしてタバコも吸わず
働いて家を建て、子を育て終え
正月すぎの十六日
雪の日、散っていった
ガンと診断され
たった三ヶ月の入院だった
予科練の飛行機乗りだったから
五十年も余分に生きたつもりだろうが
遺された家族は悲しくてさびしくてたまらない
 
正月は死んだひとを思い出せと
風が吹いてくれるのであろうか
風に吹かれながら
人のいのちの空しさを考えるのか
それとも遅かれ早かれやがて土に帰るのだから
悔いなく生きろというものなのか
 
海の方から吹いてくる風は
かすかな春のにおいをふくんで
私の血潮はなんとなく熱くなる
正月がくると人の死が
あらためて感動的に思えてくるのである
 
     (「秋田民主詩人」4号、1999・1)
 
 
 
 
  おやかぜふかひ
 
 
おやかぜふかひ
しゅうどかぜふかひ
やっとえまごろ
あじましくなってきたども
なんと、てらからむかえよげふて
やすんでるひまねえな
 
むかしだばな
はたらくあねちゃだけの
えしゃさもかからね、ええあねちゃだけのと
もひ、しょわさえで
あべえば、あさまの四じにおぎて
たんぼだ、はだけだって
よなかまでかせいだもだけね
 
らくしては一文だってぜんこになねって
おどもゆうもだんて
おらもそのきで
おどのからだこ、もんだり
たまにはおらもなでてもらったりして
よめにきてからこのかた
いちにちもやしまねで
はたらいてきたえな
 
んだどもいちどだけ
じつかさけえったことあったえな
じっかのおとうとが
おがじしんのとき
やまからなまきかつでえで
ぶっころんだきゃ
きっこが、かたさ、ささったなだって
 
うどちらなおとうとだえな
かたのきずこがもとで
はしょうふうになってそんましんだものな
 
びっくりして、えさけったけ
ざしきさ、たらいおいで
しんだおとうとどこ、ゆこさひで
みんなして左り手でゆこかけでえだえな
さらしこのきものこきひで
きゃはんこつけで
みんなして、ひっぺ、ないだえ
 
みんなだば、へいたいさえげば
どうせ、たまさあだって
けってくるなば、きのいだっこばし
みんなから、ゆかんしてもらって
だみだしてもらうなば
ええどおもわねばって
なぐさめらえで おらけってきたえ
 
おひがんきたんて
じっかのはかさも
おめりしてくるあえ
 
  *おやかぜ=親の威厳
  *もひ=おだて
  *あべえば=調子よければ
  *だみ=葬式
  *男鹿半島に烈震=一九三九年五月一日
 
    (「秋田民主詩人」5号、2002・5)
 
 
 
 
  召集兵整列
 
 
熱帯の島デュプロン島へ
兵隊を乗せた陸軍の輸送船が入港した
一九四三年十二月
太平洋戦争開始三年目に入ったところだった
中部太平洋の基地のある島々は
米軍機動部隊の攻勢に遭遇し
死闘をくり返していた
 
ガダルカナルで敗北に敗北を重ね撤退
やがてソロモンも撤退
一ヶ月前は目の先のタラワ・マキンが玉砕
輸送船団の全滅も続いていた
 
下船が始まりタラップを降りて来た
海軍の手すきの者は帽子を振って迎えた
厚い冬服を着たオンボロの召集兵だ
重い軍服の下に村のおじさんがいるの感だった
 
部隊は中国大陸で編成された急ごしらえ
東シナ海からバシー海峡を迂回し
ジクザクコースでたどりついた
 
どこへ行くということも知らされず
これからどうなるのかもわからない
赤紙一枚が結果を生み地獄がそれを拾う
命をかけて真実を見るのみであった
 
部隊は桟橋から遠くない椰子林に入り
ある者は天幕、ある者は野宿した
 
島をめぐる戦況は険悪そのものだった
航空戦や海戦がしきりとなり
ほとんどが負けいくさだった
やがてラバウルがやられ孤立した
ニューギニアを放棄
デュプロン島にいた連合艦隊も後退
一九四四年元旦の夜
ラッパが鳴りひびいた
 
部隊が整列し粛々と乗船を開始した
行き先はマーシャル群島
行くも残るも地獄といわれた
 
二ヵ月後、クエゼリンは玉砕
デュプロン島も大空襲で基地壊滅
私どもは命からがら横須賀へ逃げ帰った
 
有事法制制定を声高に叫ぶ者に
あの元旦の夜の召集兵整列の真実を聞かせてやりたい
 
     (「秋田民主詩人」6号、2002・9)
  
 
 
 
 
  バスラの少女
 
 
毛布を首にまいた少女が
叫んでいる。
砂嵐の吹いたあとの
天空のかがやき
乾いた風が流れて
爆発音が空腹の
小さな体をゆする。
 加速する空爆
 地を這う黒煙
一発ロケット弾が
少女の家を吹きとばした。
いのちの軽さだった。
衝撃と恐怖の段差が
母と弟をくだき
少女を正気に戻した。
 戦車の道へのがれると
 涙の風が少女の声を運ぶ
 ―ママを返して、戦争やめて!
 
     (「秋田民主詩人」7号、2005・8)
 
 
 
 
  生きたものを食って
 
 
荒れ狂う夜の海を進むふね
黒い魔物のような波に突きささる
抱きよせられ、吸い上げられ
波頭に乗せられたかとおもうと
突き落とされるふね
どこからともなく飛んでくる砲弾
闇の中に光る波柱
ねらいさだめ投下機を操作する戦友
――危ない、後部兵員室被弾、火災
「ギャーッ」
 
夢からさめる
鳥肌がたっている
海鳴りと、列車の通過する音
心臓がいかれたか
肺が弱ってか
夜間、ふとんに入ると息苦しくなる
そのせいか時おり戦友の夢をみる
戦友があの世で訴えているのであろうか
 
近所の医院で看てもらったら
COPDといわれた
ーまあ、慢性の気管支炎ですな
細い管が狭くなり
肺の機能が弾力をなくしているという
ニカ月に一回ぐらい診てもらうことにして
薬をもらい退散する
 
河口の土手を通って海へ出る
冬の海は河口の地形を一変させ
雪まじりの風がうなりをあげる
押しよせる怒濤を見ていたら
顔見知りの漁師が近づいて来た
生きたものを食って
――たおれてのち止む、いいですな
渦を巻いて河口の流れが海へ突入した
私の人生も渦巻きみたいに
時代へ突入していく
きょう、「きりしま」は横須賀基地を出航した*
 *十二月十六日海上自衛隊イージス艦「きりしま」(七、二五〇トン)憲法違反のインド洋アラビア海へ出航。
 
     (「秋田民主詩人」7号、2005・8)
 
 
 
 
  無人兵器
 
 
特殊戦任務ロボWA NO・47Yは
暗夜の山地に降り
音もなく不毛の野を進んだ
土漠の台地を走り なんなく河を渡る
数十キロの行程をなめるように抜け
白い家が並ぶ町へ入れば
そこに殺し屋の仕事が待つ
 
教会と喫茶店の前を風のようにすぎる
精密な暗視装置
人工頭脳とズームレンズが働く
暗黒の町は物音一つ聞こえない
だが相手の複数の波形は記憶されている
彼らが「あ」でも「は」でも声を出せば
波長が同調し人物が想定できる
 
47Yはアンペラの筒形の家に張りつく
いまは冬期、C4度の寒さである
家は手堅く締め切っている
しかし機械人間の機能は
さえぎる数枚の壁も透視できるのだ
息づかいもキャッチして分析する
 
47Yは戦闘ロボット
体内に爆弾を格納
機銃を装備、消音装置つきである
道路を隔てて破壊された石の家と
アンぺラ造りの家との間に反応があった
人の気配である
まもなく子どもと青年数人が出て来た
アラビア語の波形がデーターと酷似
47Yは反射的に追跡する
性別、人相、身長、声紋、関連人物など
確率五〇パーセントの相似で
本能的に無感動的に狙いをつける
三〇パーセントでも逡巡はしない
目標に近づき仕止める
アラビア人の方は怪しい物体に気づく
突然、背を低くして四方に散った
 
計測器はリミットを告げた
夜明けが近づいている
――急げ、攻撃しろ
47Yは胸をはだけ引金をひいた
同時に背後から爆弾が投げつけられた
――ダガン
――ドワン
爆発が起こり火?が夜を焦がした
 
  *米陸軍はマシンガンを装備したロボットを導入する。イラクでの治安対策に地上 を走行する無人兵器の計画を進めている。(05・4・18・「天声人語」)
 
     (「秋田民主詩人」8号、2006・1)
 
 
 
 
  せんぶり茶
 
せんぶりの黄いろの熱あつの湯を
一杯はご先祖さんへ
一杯は身内の先立った者へ
一杯は生死を共にした戦友へ
もう一杯は早逝した佳き友 詩友たちへ
 
茎の苦味は胃のひだを刺激し
葉っぱや枝のこぼれ粉は
小腸や大腸の奥底まで届いて
活力となるようにと呑む
舌とのどに残る苦味
安堵と清涼感が体内にしみていく
 
〇六年 四月四日午前九時
米イージス艦「ステザム」秋田港に入港
寒空に市民団体ののぼりがはためき
入港反対のシュプレヒコールが
波濤を渡って連絡船の発着場まで聞こえた
 
隣接の岩壁ではボラやホッケが釣れていた
ボラは小骨が多くて歓迎されないが
ホッケならいまが旬
釣り人には邪魔されたくない至福のとき
その平和な情景と一変して
荒漠の外海、二号岸壁に
異様な鉄の固まりが尻を向け接岸していた
警察と進入禁止器材に囲まれて
 
早々に帰宅して熱いせんぶりの湯を飲む
のどを通り食道をすぎてゆく苦い味
胃をこわし早く逝った叔父は
終戦の日の土崎空襲で逃げまわった会社人間
なにも秋田港にまで来て
親善訪問してもらいたくないのが私の思い
 
りんどう科二年草
秋には白色五弁の花が咲く
ことしも山へ入ってせんぶりを探しだそう
幸せを求めるささやかな私の権利だから
 
     (「秋田民主詩人」9号、2006・5)
 
 
 
 
  ふたりの大将が お出ましだ
 
 
ふたりの大将が現われた
ひとりは 押切大将
もうひとりは 中川大将
中川さんが押切さんを連れだしたらしい
そういえば押切さんの白い顔は
赤味がさしている
足どりも軽いようだ
 
中川さんはいつも心に青春を懐いている
それでいて相手を気づかってくれる
―あれえ、大将お揃いでお出ましとは
―なんとありがたくて涙ここぼえるす
おれは感激して涙がこぼれそうだった
―なにしてたどこ?
押切さんは冷やかし気味に顔をのぞく
―あささんのオビ文、やっとでがしたどごだす
―ほ、詩集『窓』か、あさ君、若いのによくやるな
中川さんはゲラ刷りを取りあげる
押切さんは乱雑な原稿に眼をやっている
―なげごど。オビでなく序文だな
―百字ぐらいでキリっとやれば、えのに
―えがべ、えがべ、横山部長、うまぐやるべ
押切さんは「わかっている」という顔した
 
「戦争が母や自分たち一家を
 不幸のドン底に落とした」
とあささんは詩に書く
「窓」から入った一閃の光りを救いに
意識を変え一家の生きる道をまさぐった
 
多喜二文学との出合い
その仲間たちとの交流
チリ人民のファッショ政権との闘い
その国際的な連帯の運動
戦争に反対する詩人の会の取り組み
鍛え抜かれた詩精神が
時代を透視し
それを詩にした
 
―なかなか粒よりの詩だ
―うん、ええ詩集になりそうだ
(暗転)
―あれえ、中川さん待ってけれ!
―押切さん、大将!
おれはのどをつまらせ
声のない声をしぼっている
 
六階、消化器科病棟、病室の窓
寝静まった暗闇の田園を
最後の秋田着「こまち」が走り去った
 
     (「秋田民主詩人」10号、2006・9)
 
更新日時:
2008/01/30
   東北民主詩人
 
  七十歳宣言
 
 
湯舟の横で鏡に向かう
こけた頬にカミソリをあてる
限りある余生の顔というべきか
深いシワにたるんだのど首
老いの始まり七十歳ありあり
 
若いころ年令よりは
三つ四つふけてみられた縄文づら
不精ヒゲとニキビの名残り
鼻とあごに白いのが目立つ
薄くなった頭髪のうす汚さ
 
能力とぼしく出来もしないのに
ひきうけてあわてる小心さ
それをかくしたうすっぺらな胸
しまりなく不健康な肉体
老いたりし吉田朗、七十歳
 
神経痛あるが医者ぎらいで通す
腰痛は常に鈍痛ときに激痛
美的感覚、思考力、記憶力なし
意識はうごいてもからだ動かず
体力気力なく、ああ疲れました
 
親しかったひと、幽人、戦友
次々とおさらばしていく
その何人かの写真を仏壇に置く
「引退」する何程の物もないが
引いて退き朽ちて行く始まり
 
戦場で命を捨てた者と
機をのがれ生きのびた者が
やがて同列に手をとる日
その軌道をどう駆けおりるか
つめたい風が足もとをすぎる
 
ひたすら歩いて来た者には
見落とし、やり残しあまた
気安く改憲をいってほしくない気もち
七十歳、固い畳に静座し
「知的怠惰と無関心」を戒める
 
     (「東北民主詩人」10号、1994・8)
 
 
 
 
  赤じそは赤紫
 
 
赤じそは赤紫
青じそは白花
 
風に花がこぼれ
花のあとには小さな実
 
秋の日が届かなくなっても
小さな庭にしそは花を咲かしてくれる
 
しそは人にやさしい野菜
春から秋まで葉っぱが摘める野菜
 
春寒に耐え夏をしのぎ
秋冷えに赤々と青々と
 
赤じそは持病の腰痛によいという
梅漬け、シソ酒、漬け物
 
青じそは天ぷら、青汁
味噌を包んで油揚げ
 
人にやさしい政治などとごまかし
消費税の増税をはかる政治
 
年金生活の老人にやさしい
しそにも劣る政治はやめなさい
 
赤じそは赤紫にまた咲いた
青じそは白花をまたつけた
 
     (「東北民主詩人」11号、1995・1)
 
 
 
 
  雪明かりを背に
 
 
古ぼけたおびなめびなの土人形が
暗い床の間に置かれている
孫娘が届けたコンペイ糖と
義理チョコも飾ってある
わびしく迎えたわが家の三月三日
 
雪明かりを背に
テープルに「確定申告」をひろげる
複雑で書きにくく
いかにしてミスを出させ
それを発覚し追求し
徴税のプロの腕前を見せるかという
意地悪い目がありあり
 
むかしの海軍簿記しか知らない人間だが
「手引き」も「書き方」も分かりにくく
これでは誰だってまごつくだろう
不公平税制にたいする怒りが
無策の政治への不満が
あらためて涌きおこる思い
 
借金財政の真実を
貧しい庶民のありったけを
数字にして書きこむ
それを眺める土人形と義理チョコ
中二の孫娘の顔チラリ
 
軍事費を削って国民生活にまわせ
防災対策にまわせの声がある
私はそれを支持する
横須賀や池郷の森を
この目で見てきた私には
心の底から支持できる
 
百七億円もするF15戦闘機が
いま必要なのだろうか
一両十億円もの戦車が
まだ足らないのだろうか
三千四百億円の[を]かけて
SF―X(防衛庁次期最新支援戦闘機)の
開発がなぜ必要なのか
 
延納期間の利子税七・三パーセント
この低利時代の酷税
なんたる仕儀、なんたる無感覚
雪明かりに
「七・三パーセント」が
馬鹿でかく見えた日だった
 
     (「東北民主詩人」12号、1995・10)
更新日時:
2008/02/22

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Last updated: 2008/2/22