編集の周辺

『亀田風景』の佐々木忠郎先生
忠郎先生のことは「ビンボーチョー」にも書いたが、忠郎先生の追悼文集を編集しているときに、道元禅師に関係する絵の写真を見つけた。たしか江戸時代に書かれたもので、貴重なものだという。後日、曹洞宗のチラシを印刷したときに、この写真を思い出し、お借りした。忠郎先生は『国訳大蔵経』だったかを全巻所蔵していて、それは県立図書館にもなかったので、図書館に勤務していた長男がほしがったが、結局岩城町の図書館に寄贈された(佐々木忠郎図書館)。忠郎先生宅の庭には、長年履いた長靴を祭った塔(長靴の塔といったと思う)があり、その弔辞?も額に入れて飾っていた。
更新日時:
2008/02/21
歌集『夢にうつつに』の瀧廣明さん
たしか、こういう歌集だった。(今手元にないので確かめられない)
瀧さんが亡くなったと聞いたのは、きょう20日、仕事先でだった。家では、長年読売を取っていて、魁はとっていないので、県内の記事は見逃すこともある。さっそくネットで魁のホームページを見ると、11日に亡くなっていた。
この歌集の校正に、瀧不動産ビルの会長室に通った。歌集にもあるが、古本屋とかで画集の全集などを買い込んで、大内町や岩城町の図書館に寄付するのである。また、例えば、石(宝石?)なんかで、ビルの何階かへいくと数千円(だったか、数万円だったか)で売られているものが、同じビル内の100円ショップにあったりして、その石を全部買ったりするとのこと。歌集ができたときお礼にといってスポーツシューズを頂いた。―これは100円ショップのものではない、とは秘書の言葉。わかっています。
自宅の庭に小さな美術館があって、たしか地元の画家の作品を陳列していた。
本を作ってから、ブックオフでお会いしたこともあった。
更新日時:
2008/02/21
『子吉川風土誌』の高野喜代一さん
なんといっても、初めて手がけた本である。社長の吉田朗氏に教えてもらいながらつくった。続編もつくった。これ以後、高野さんとは一緒に何冊かつくった。特に印象深いものに、『猿倉人形遣い独り語り』がある。木内勇吉さんの原稿をまとめたもので、一部は新聞に連載された。木内さんの生原稿と、新聞に載った原稿は大分違っていて、木内さんのなぐり書きのものを高野さんがまとめたようだった。
本文のレイアウトも、上の方を少し開けたレイアウトにして、写真やら、注やらをできるだけ入れた。
更新日時:
2008/02/27
『角館風土記』の小林定静さん
本をつくって強く印象に残っているというのは、じぶんがそれに力を注いだからだろう。または、その本で楽しんだということになるのかも知れない。カコミで角館美人のコーナーをつくったりとか、いろいろやった。また、この本の場合、毎月のように、休日にゼロハンで武家屋敷の写真を撮りに行ったりした。
書店訪問をして、定静さんに立ち寄ると、必ず食事を誘われた。食事を済ませたといっても、である。そのうち仕方なく? 行くときは食事をとらないことにした。行くところは、回る展望台のある角館プラザホテルのレストラン。
定静さんは戦前昭和研究会に参加して、中公文庫でそれに関した本は出ているが、自分でもなにか書きたいようなことを話していた。しかし、何も残さないままなくなった。
ちなみに、角館には縁があって、祖母が佐藤家の出身。叔母の歌集によれば、武士の娘らしく? 短刀を持っていたという。今、それがどこへいったのかわからない。
更新日時:
2008/02/19
『餅』の藤田秀司さん
最初にお会いしたのは、『仙北風土記』編集のお願いだった。その時に、こういうものも書いているということで見せられたのが「餅」であった。ぜひ出したいと思い、編集部で相談し、シリーズで民俗選書を出すことにした。この本を出すことで、藤田さんは正月になると、必ず餅の原稿を依頼されるようになり、ついには「餅博士」のひとりと呼ばれるようになった。(阪本寧男『モチの文化誌』中公新書)
その後、民俗選書で『馬』も刊行した。
更新日時:
2008/02/20

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Last updated: 2008/2/27