詩の、自分の作品に解説を書き加えねばならぬというのはおかしな事だが、もともと私は、私の詩なるものは、私自身のメッセージのテキストみたいなものという思いがあって、文学創造なんて、大げさなものではなかった。この解説ふう覚え書きなるものも、そのテキストの補充というつもりだ。
この「良民票」のモチーフは、あの戦争での、私の兵隊としての体験からでたもの。もう五十年余の昔の事になる。なるほど、そんな時間がたっては、詩に解説も必要になってくるのだ。
それと、私の戦争を「風化」させてはならぬ、そんな思いを重ねて、これを書く。
一九四二年の春、二度目の召集で私は、海を渡って中国山西省の奥地で「陸軍二等兵」としての兵隊ぐらしをした。城門につめて、そこを出入りする民衆の荷物を改めたりした。城外の耕地にでる農民がほとんどだった。みんな懐が「良民票」なる書き付けを出した。紙に筆字で、名前と年齢、住所などが書き込んであって、村長かの大きな角印が押されてあった。兵隊はそれを仔細らしく点検などしたりして、銃剣の先であっちに行けと示した。
(あの戦争はなんであったか。天皇の名による侵略戦争でなくてなんだ。)「良民」とは、侵略者にとっての良民であった。あの大きな角印は、被占領地民衆の抵抗であり、知恵であったであろう。
さて、その「良民票」が下敷きになってこの詩となった。この「良民票」はいまも確かに存在する。今のは、顔写真を貼って番号を付けたカードだろう。区分され、チェックされて、支配の刻印が打ちこまれるのか。それを胸に下げて、ぞろぞろ列をなして食糧配給所に向かう、登録所に行く。あるいはそのカードを掲げて、Help!Help!と、右往左往する。この詩を書いたのは、一九九三年六月のことだから、カンボジアの映像とつながる。この国もいつの間にか、王さまの国となった。どんなからくりがあるのか。民主化とはそんな終結であるのか。ともかく、民衆は番号をうたれ、区分され、Help!Help!と叫び続ける。むかし「皇」(すめろ)という言葉があって、「皇民化」すること、つまり、天皇の民とするという事であって、良民化につながる思想であった。
さて、詩の終連になる。日の丸の小旗をふって参賀の行列。いつしか恒例の「風俗化」として染みこんできた。われは皇民―良民、なりとぞろぞろと進む。日本も次第にカミサマの国になるのか。
以上、自作詩について無駄口をたたいたが、私自身の、自戒のためにでもある。隷属しない、支配されぬ、われ良民に非ずの思いである。
この詩は、私の手づくり小詩集九三年版で発表、次いで『秋田県現代詩年鑑』にも載せた。
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