詩

 1      坂本梅子詩集『土蔵ものがたり』
 ひとつの遺産
 
小石をけって流れは土蔵の前を走り
流れにかかる土橋を渡って母屋に入る
母屋と土蔵の間を掟のように区切る
水の流れ
家と土蔵と相対の護りのかたち
谷間のむらは気ままな自然を後に
したがえ その先を生きる
日ざしのうすい谷間を襲う飢饉
ひとはそのさきを
米 麦 粟 ひえ 大豆 小豆
わらび粉 干葉 干栗 干魚
干蛇 喰えるもののすべてを
土蔵の暗がりに潜ませるように積み込む
よもや まさかの時の頼みに
飛道具 槍 日本刀
土蔵のより暗闇に ひそかにかくまわれる
戦国武将の城の構えにもにる
谷間の土蔵
谷間の土をたがやして土着の
先祖のしたたかに確かな生の
ひとつの遺産だった
 
 土蔵のなぞ
 
土蔵の中はくらやみでも
決して灯りをともすことはない
土蔵の暗さに目が慣れ次第
ぼんやりから もののかたちが見えて来て
用が足せる
真夏の陽が さんさん降りそそぐ
まひるの外界とはまるでちがう
ひんやり肌をつつむ冷気
泳げるほどのおぼろの闇
つちぐらの宇宙
粗壁土に塗り込められた四角いだけの
建造物
ごく幼稚な発想で外の自然を遮断して
光も風も熱気も雨も雪も度外視で
変ることない冷たさと暗さと
確かなものにして
ゆるぎもなく座す土蔵と呼ぶもの
人が何を匿おうと貯めようと
有無なしのくらやみと冷たさが凝視する
人が托することの条件とはなんであろう
おぼろの闇と
肌をつつみ込む冷たさと
無言の凝視と
托されてあることを秘めてあるように
固く扉を閉ざして
土蔵は決してねむることをしない
 
 土を生きる
 
谷間のむらに大火があった
四方火にかこまれ逃げるより方法がなかった時
祖母が土蔵の扉に生味噌を塗りつけ
僅かの隙間も防いで土蔵を護った
大火や大風や決して土蔵に避難の
行為を人はしなかった
掟のように守った
土蔵の構造は入口も出口も一つ
鉄と土と二重の扉を開いて閉じる
危うくのぼる二階にあかり窓が一つ
鉄格子がはめこまれ 二重の扉の開閉
あかり窓の鉄格子にすがって見れば
罪人の気持になってくる
土の牢
決して人の避難の場としないのは
そもそも 土の蔵と呼ぶものへの
潔癖にも近い尊厳のこだわりだったで
あろうか
いずれにせよ人と土蔵のかかわりは
貯えて生きる備えの土蔵であっても
いのち乞いの場としない純粋で強靱な
こだわりに護られてある
神聖な大地の土もてかたちづくられた
土蔵と呼ぶものは
谷間の人のいのちに勝る
土のたましい そのものであった筈である
 
更新日時:
2005/05/08
 2      石田由美子さん
更新日時:
2005/04/09
 3      飯島耕一氏
 上野をさまよって奥羽を透視する
 
すいかん
ほし
すいかん星(ぼし)
口をついて 出て来る
すいかん ほし
すいかん星(ぼし)
きのうの すいかんたちは
どこへ行ったんだろう
とうきょうの すいかんたち
江戸時代の 酔漢のゆくえ
すいかんのゆくえが こんなに気になるのは
こまい てつろう のせいかも知れない
駒井哲郎銅版画展
酔った こまいが
わたしの首に腕をまきつけて
詩画集を作ろうよ ねえきみ
とくりかえしたこともあったが
こまい てつろう が
電柱に しがみついて
動かなくなった
星の夜もあったが(「月のたまもの」というのは彼の作品)
きょうは死んだ駒井哲郎の銅版画展で
上野に来たのだ 久しぶりに
上野は知らない人ばかりがうようよして
知っているのはこまいさんだけだ
   *
奥州の人 づき合い難し
司馬江漢の『春波楼筆記』のひとことが
いくども思い出される
ここで奥州の人とあるのは
奥羽の人 でもいい
上野駅はなじめない
わたしはもっと南の国がいい
きみの背中の向うには瀬戸内海がある
と人に告げられたことがあった
きみの背後には 瀬戸内海の光がある
わたしは思わず振り向いてみた
法政大学の一室の壁があるだけだった
上野駅は どこか臭くて なじめないのだ
どこか つめたく ひんやりして
ところがわたしの父も 母も
祖父も 祖母も
戊辰の役の武士で明治の弁護士だった曾祖父も
みな羽州の人 だった
官軍の尖った帽子はいやだ な
会津に攻めこむ 官軍はぞっとする
あれが のちの陸軍になる のだな
ところが羽州の曾祖父の藩は
維新で官軍についた
徳川への うらみ
関ケ原で 旗幟を鮮明にしなかった佐竹藩は
常陸水戸から 気の遠くなるほど北辺の
羽州に 追われたのだ
わたしの先祖はみな上野をめざして
はるばると つめたい奥羽から出て来た
秋田では デパートの現代娘も
秋田訛なので ぎょっとする
   *
しかし小田野直武の絵はいい
その繊細なデッサンはまるでアンリ・マチスだ
アンリ・マチス
直武は二百年前の 佐竹藩の武士だ
彼はアンリ・マチスみたいなデッサンも残した
大酒家の彼は 胃潰瘍で死んだ とされていた
しかし 最近 直武の血染めのカミシモが発見されたそうだ
背後から 槍で突かれたらしい
直武の祖父が刺したとか(謹慎中だったから半ば自決だろうか)
直武の蘭画のデッサンはいい
まるで南仏のマチスの線だ
マチスもじつは北フランスの出身だが
直武も上野を歩いたにちがいない
源内塾の塾頭となり 夜は酒を飲み
昼は『解体新書』の 挿絵を描いた
牡丹や 不忍池も 描いた
秋田から上野にいたる
二百年前の一本道が 白々と眼に浮かぶ
時もある
その道を 祖父も 直武も歩きつづけてやって来たのだ
   *
ぼくの右腕は完全に疲れた
こまい てつろう は そう書いている
ぼくは右腕は完全に疲れた
上野の美術館の壁のパネルに
わたしはその文字を読んだ
年代順に見て行くと
彼の 生涯の さざ波の 動き方が
よく わかる
充溢と 憔悴の
波が
人間は充溢したり 憔悴したりする
人間のなかでも 考えられる限り 繊細な
彼のしょうすい
十代から銅版を作っていたんだね
下町の川のほとりの材木置場の風景なんか 細かく彫ってあって
駒井さんともう少し話をするんだった
司馬江漢や直武から
Komaiまでつながっている
一本の道 がある
はずかしさ はにかみ
そのかたまり
すいかん
ほし
すいかん星(ぼし)
酒を飲まずにはいらない酒を飲んでの数々の失敗
くるしい
荒廃を畑にして無から星を作るのは疲れる
ヨーロッパと対抗しよう としたんだな 腕で
海鳥がさかんに鳴いている
みちのくのどこかの海岸では
海鳥が しゃがれ声で
騒ぎ立てる すぐに立ち去りたくなる恐ろしい海岸
人はみな三、四メートルの前方しか見ていない
ふだん
   *
〈日本人は生魚を食べる そうですね
夕方になると皆で海へ行って もぐり
魚を 手づかみにして食べるって
本当ですか〉
三十年前のあるアメリカ人の質問だという
文化的偏見はこんなぐあいについこの間まであった
と新聞は論説している
しかし何という新鮮なイメージだろう
こんな 日本人だったら よかった
   *
三月はじめの上野は人でいっぱい
桜はまだ 先のことだが
小学生の遠足も次々と来る
人 また人 で これがもっとも明々白々な現実のように思えるが
群衆ほど消えやすいイメージはない
すぐに消えて 忘れられてしまう
群衆のゆくえ すいかんのゆくえ
水たまり
挨 空虚
まっぴるまの星は 美術館の壁の中ふかくにある。
  十日後、また上野へ行ってみた
朝 めざめぎわに
家ではじめて秋田弁をつかわない人間は自分だと気づいた
わたし以前はみな秋田弁のなかに閉じこめられていた
何百年も秋田弁だった血が
瀬戸内海の近くで生れて瀬戸内のことばで育った
家の中は秋田弁 家の外は岡山弁
二年前 常陸太田へ旅をした
佐竹の墓がむざんに荒れ果てていた
人はみな徳川の墓に詣で
佐竹の墓をかえりみる人は少ないらしい
ある神社へ行った 年とった神官の妻が
佐竹のゆかりの方ですか と上へあげてくれ
佐竹の殿様が描いたという絵を見せてくれた
佐竹の殿様がお国替えで秋田へ左遷と決まると
絵のなかの(別の絵だが)ウズラが惜別の気持で啼いたという
それからわたしは土地の詩人三人と酒を飲み
気がついたときは朝で わびしい宿屋の寝床に打ち上げられていた
最後はある理髪店の二階で一升瓶を抱えて
飲んだのだった このうちには迷惑をかけて
しまった はじめてのうちなのに
常陸太田の朝の商店街を歩いて駅に行った
何百年も前の先祖はこんなところにいたのか
貧しくさびしい商店街がどこまでもつめたい腸のようにつづいていた
   *
自分以前はみな秋田ことばに閉じこめられていた
と気づいた日の午後
また上野へ行ってみた
上野が呼んでいる ような気がする この頃
昼食をとろうと地下鉄へつながる地下道を行くと
何かパリのあのにおう地下道を歩いているような気がした
パリのメトロの地下道の低い天井や曲りぐあいに似ている どこか
パリでは多く夢を見た 日本の夢も
非理性のパリ 限界のパリ
昼間いくら知的に思考しても 自分の限界は夢に出て来る
四五〇円のチャーシューメンを食べてさらにまた歩くと
〈寝そべりすわり、しゃがみ又立ちどまって
いることは、他に迷惑になるので、かたくお
断りします 上野駅長〉という標示板が
コンクリの黒く汚れた壁に掲示してあった
ここで寝そべったり しゃがんだりする人が いるのだった
戦後の上野駅は坊主頭にシラミをつけた
猿のような戦災孤児の群れが
アキカンを手に手に駈けまわっていた
あの耳だけになった夏の日
まだ覚えている しつこい一日のこと
あの耳だけになった夏の日
夏の耳 耳の一日 日本のあの声
上野は臭気 近代の臭気のたまり場
駅を出て 西郷銅像下の土産物屋の前まで行くと
ロシヤ人らしい異人が二人いた
佐竹の藩士で紅毛の蘭画を学ぶ者が何人もいた
彼らも奥羽から江戸の藩邸へと南下して
源内に会い 玄白に会った
江戸藩邸には天明の狂歌人の一人だった佐竹の家臣もいた
二百年前 彼らは上野や神田を歩いていた
アスファルトの舗装もビルもない低い家並を
彼らは髭をつけて歩きまわっていた
その人たちの気分をわたしは
ときどき自分の内部に確かめる
わたしにはわかるんではないか
いまわたしは
彼らと同じ気分で歩いている のではないか
あの秋田の新屋(あらや)の先の丘から見下ろす海岸
空港も近い海岸(この空港は風が危ういが事故はないという)
とおく 酒田鶴岡の方面まで見える日本海のつめたい海岸から
南下して江戸へやって来て
彼らは吉原の大門をくぐり
また源内の刃傷事件にも遭遇したのだ
司馬江漢と情報の交換もしたのだろうか
南下 南下 わたしは宮古島まで南下したが
上野の公園の彰義隊の墓も見て
花園稲荷の赤い小さな鳥居をいくつもくぐって
穴の稲荷の細いローソクの並んだ狭い箱の一隅にも入ってみ
黒門の鉄砲だまの穴も点検して
不忍池のほとりまで下りた
長谷川利行の墓もここに立つらしい
不忍池ははるか昔の東京湾の入り江の一部という碑銘も読んだ
このあたりを貧しい東北の娘たちも歩いただろう
なかには売られて来た娘もいただろう
駅のほうへ戻って行くと
黒門ラウンジというコーヒー店があった
看板の漢字とカタカナも読み倦きてしまった
マンガ雑誌を手にして
うすら笑いをして ふるえているセーターの青年が一列になってやって来た
 彼らは遠い遠い何かだった
みな黒い髪をしている日本人を見るのも倦きてしまった
無理想時代 無思想時代の日本の街に右往左往する男女を眺め
久しぶりに〈透明な巨人〉のことを思った
あれがわたしの信仰か
わたしは何を信じてさまよっているのか
汐入行きというバスがよろめいて来た
人とちがった信仰をもつのはつらい
二年前 秋田のカワバタという川の畔りの紅燈の巷で
一夜飲んだことを想起した
昔の竹の果物籠のようなものにお銚子を一ダースもつめこんで
女中さんが廊下を走って来るのだった
芸者たちがねっちりとした猥らなお座敷の唄をながながとうたった
秋田女の肌はどんなだろう
小太鼓をたたいた商店主もいた 医師や 市会議員や
まわりはみな秋田弁でわたしは異国にいる思いがした
それにしてもわたしは何を信じているのだろう
流されたくないのだとすれば
ぎりぎりのところわたしは何を信じ
何を求めているのだろう
それがわからないのだ
昼間はしっかりしているが 夢にはうなされる
いやな さびしい日本の宿屋とか風景が 次々に出て来る
〈透明な巨人〉の落す影どころか
わたし自身が 透明で からっぽで
クラゲのようにさまよっている だけのように思える
どこかに偉大な〈透明な巨人〉の影が
射しているとでもいうのか メタフィジック
な光がどこかに射しているというのか
わたしはしんからの他人として 群衆を見やる
天明から二百年 わけがわからなくなっているのだった
天明の奥羽の武士たち以上に
何もかもわけがわからなくなっていた
あの武士たちは少なくともヨーロッパに眼をみはっていた
わたしはどうなのだ わけはわからなかった
しかたなくまた暗い駅に入って行った
暗い つまらない駅だった。
更新日時:
2005/04/09
 4      秋山清氏
 ある孤独
 
いそがしい日程でぼくは疲れた。
草枯れ色の展望のなかに
よどんで見える泥ぬまの雄物川。
旗もぬれしょぼたれた空港の滑走路。
海面に一個石油やぐらが遠く立つ。
日本海は動く波もない。
砂丘の秋草の色づくなかにちいさな石仏たちが
たおれたり
かたむいたり。
まずしいのはこの河口の景色か。
あの街か。おれたちの民衆か。
こぼれて散る草の実の
イノコヅチやヌスビハトハギ。
雨は気にもならなかったが
押切順三は洋傘をさしあげてあるく。
畠山義郎はベレーを斜にかぶっていた。
まずしいというこの思いは説明もできない。
田舎都市を拡張して
潅木や雑草の小丘がはるかに
うねうねと
そこらが何市何々町何番地。
どこもかしこもだ。
                     ――秋田1963
          初出「自由連合」(『ある孤独』より)
 
更新日時:
2005/04/09
 5      佐藤旌遺稿詩集『そら』
  五城目という町
 
ときえちゃが そばにいた
ときえちゃは にぎり飯をくれた
味噌ぬりの 大きなおこげ  
手にあまる熱いにぎり飯をほおばり
広い土間を とことこ歩いた
 
ときえちゃの 背中にいた
割ばしのさきの飴をしゃぶりしゃぶり
太鼓とシンバルつきの紙芝居をみていた
みんなの頭の上の特等席
背中のぬくもりが 今も残っている
 
裏の畠をまっすぐ突っ切れば河
裾をはしょって 腰までつかり
息をこらして 底をみていた
小石のかげに 澄んだ魚がいた
ちろっと逃げた そのさきに
ときえちゃの 大きなあしがあった
 
かこいのある 高いお墓があった
大きいの小さいの三本が真中
まわりに お地蔵さまがいた
線香の前で 手をあわせ
隣を そっとうかがったら
倍より大きい てのひらだった
 
家の前が なめし皮屋で
後は 光った小石のある河
私の生まれた 五城目という町の
ありったけの おもいで
知っていることの全部が
たった これだけなのです
 
 
  安楽温泉
 
桜並木
夕闇に浮かぶ合歓のおぼろさ
口をつぐんだ老紅梅の荒幹
渺々と広がる千刈の田園を見渡し
山肌にぴったり寄り添う鄙びた宿
竹林に覆われた底深い堤の奥の
白蛇の社に守られてか
たえることをしらぬ山の湧水
 
水桶をかついでよろめく影
鎌で切った指先が転がっている
飯の中の大根葉 南瓜の茎
ほのかな思慕をすてた小川のきらめき
突き放した人達への哀訴の山彦
遠い田圃の畦でなぐさめあった一輪の野菊
耐えることを語りかけた郭公の漣
旅立ちをすすめた蛙の潮騒
 
あれから二十有余年
丈に余る薄の上を風走り
名残の積乱雲が林立し
中天を碧空が突き抜けるとき
まだ旅装のままの自分をみる
傷痕をすて愛着をすてた筈だった
だが
苔むした足から あの交錯した桜並木に
鎖のように連なっている足跡をみる
 
安楽温泉宿
それは
私の原点なのだ
 
 
  毬  花
 
晴れあがった黄玉の光を縫って、小さい風がまだはっきり冷たいままでかすめていく。橋には車輛があふれて連なり、時おり自転車が馳けぬける。見おろす堤防のくぼちに、陽ざしをいっぱいに浴び、こぼれたように点在しているみどりの毬花。
いやあ、こんにちは。咲きましたね。
 
幼いころはバンケ、長じてフキノトウ、老いてバッケ。イナダ・ハマチ・ブリは体長とともに呼称もかわり、出世魚などと呼ばれるが、言い方を変えたことで、わたし自身が成長したとは思わない。「バッケ」という切り口のような言い回しが、妙に気に入ってしまったのだ。
 
見渡せばまだまだ枯れ草ばかり。立ち枯れ折れ伏したままで乾ききり、やがてその足もとから新しい芽がで繁茂し、蔭り湿り朽ち果て、かれがそうしたように一滴の滋味となって呑まれる。河は碧水の帯。河床は雪解けにどれほどえぐられたのか。川洲中洲に鳥など遊ばせ、自若として彼我に全く寡黙である。
 
鳥は首をかしげる。二三歩あるく。羽をはたはたさせて飛びたつ。空には淡い黄が薄く地塗りされている。鳥は辷りあがり、翼を思いっきり開く。たっぷりの曲線。低く高く、大きく小さく。あきることのない幼児の無限遊戯。遥か川下にかすむ木材や浚渫船。
 
澄んだいちめんの黄緑たちの、天真の幼い華やぎに、ついつい窪地におりたち五つほど摘みとる。黄の軍手から立ち昇るいっぱいのほろにがい馥り。忘れていたふるさと。幻になった白い哀しみ。みんな今だったことのある浅春の光たち。
はい、今日も、いいお天気です。
 
 
  一 本 松
 
さかのうえにまつあり
いききのおりにそばをとおる
そのまつはひとつのゆえに
ときおりにといかけてとおる
きみい としは ゆめは
 
ひざしがあるとゆきはとけて
がさがさのくろいはだがかたがわぬれる
とおいいつからそこにすんで
みのかさはもらったかい
たちははいたかい
 
いちめんのしろいしろいおかのかどで
しぶくくすんだはりのはがところどころひかる
みちにくるりとせなかをむけて
めいそうしてるのかいすねてるのかい
かぜをおってもせんないね
 
さかのうえにまつがあり
いききのおりにそばをとおる
ひとつまつはひとつのゆえに
ひとつにゆらぐたましいをとらえる
きみい てっぺんは さぶくないかい
 
 
  尾 花 道
 
淡くしろい半月が南にあり
日射しは覗きこむように傾いて
すすきの花たちが泡だってなびきます
 
そのひとのことを想いうかべるとき
そのひとのことを考えているとき
きまって滲みてくるいたみを振り返ります
 
歳月にはおそろしいやさしさがあり
いたみが秋風の微笑に移りかわるころ
新しい世界が地平から澄んだ声でまねきます
 
淡くしろい半月のけっしてみせない裏を眺めながら
ひとが長い時間を美事に生ききるということは
荘重な啓示であると花たちはささやくのです
 
 
  雪 解 け
 
みずたまりをいく
黄色い長靴
 
みずたまりに空
底なしの藍のめくらめき
 
みずたまりは光
ふたたび訪れるかげろうのときめき
 
雲とあそぶ カナリヤ
 
 
  
 
かぜあれ ゆきつもり
竹はめどき
 
あらがわず めくらみもせず
ひたすら ためそだてためてたくわえ
 
竹が竹であるかぎり
みちみちた無心の弾力は
 
必ずめぐりくるそのいつかに
音あおあおとはじきかえる
 
さわやかに すこやかに
 
 
  山  湖
 
わたしのなかにかぜがあり
わたしのまわりにかぜがうまれ
わたしのなかにゆきがふり
わたしのまわりにゆきふりしきり
 
こおらぬみずうみのきりぎしに
たましいはひえびえとたたずみ
しののめのあたらしいひとすじの
くもまからなみまにきえていき
 
いちねんの護符はひたいにさげられる
 
 
  初  夏
 
今年はじめての朝顔は大輪の藍
雛罌粟たちの首筋がゆれる
 
奥羽山脈を走り抜けて
ちいさい賑やかな旅をした
 
岩手山麓に生きた詩人たちの
果てたあとの華麗さにしばたたいたりして
 
泣けと鳴れとを重ねられた短冊の
北上土産の青銅の風鐸は風のままに揺れ止まず
 
冴えた光が
まっすぐに馳けていく
 
 
  雨  期
 
八ツ手と無花果の葉のなるおとがして
冥い世界になる
 
さみしいときあえぐときもとめるとき
ひとは真っ白い兎になって耳をたてる
 
絶唱もしらず亡んでいった あまたの
見開かれた紅玉たちの灯はどこへいったか
 
乾坤をうめる滴と雲霧にさまよい
おのれのふるさとを探して濡れそぼつ
 
兎よ
この雲のうえに月がある
 
 
  便  り
 
投げ入れの白い桜花のかたまりを
遠いひとの窓べにそっとおく
おげんきですか
 
椿もレンギョウもチューリップも水仙も小さい庭にあふれ
買いもとめた種袋の花絵たちも机上にひろがり
しあわせとかふしあわせとかの花占を浮かべます
 
あたらしい種の一粒一粒にこもる今年の喜びと哀しみのエネルギー
思いっきりよくみんな大空に蒔きあげて
多彩な花天をつくりましょう
 
失われた神々や鳥獣たちがふたたびあらわれて
あなたに夢や加護がとどくように
 
 
  口  笛
 
ゆきどけのほうじょうのなぎさの
きびしいつめたさにしびれたちすくみ
 
おもわずもろてをあげる
しんようじゅのとったんのせんりつ
 
たまことだまむれなしてへめぐりめぐり
あわあわとむなしさのたちこめる
 
さきゅうはなみだのひものたちであふれ
はたはたかげぼうしちぎれとぶ
 
なみはざまふゆうするすてんどぐらす
こんしんのかなしいめいろあそび
 
ねがいかたくめぶけぬままりさんし
えいごうのときのうたかぜをかる
 
いつかならされていくこ
きょくをさしてたてるはだれ
 
ちはあくまでかたらず
てんまたむしんにこうばく
 
はるかなるくちぶえふく
ぐんじょうのひとみひとつ
 
 
  幼い神話
 
「わたしの祖先はだれ?」お河童頭の娘がいった。鍋の底を洗っていた手が止まり、見知らぬ人を見るように女は振り返った。「ね、かあさん、わたしの祖先はだれ?」いつかどこかで聞いたことのあるその声。いつか、どこかで。
 
無意識にたぐり寄せる時間の中に、やがてそれをみつけた。そうだった。女がまだお下げ髪の頃、やっぱりそうやって聞いていたのだ。「わたしの先祖はだれ?」と。母は背中を向けたままさりげなく「とうさんの方がふじわらで、かあさんの方がひとまろだよ。」といったものだ。少女の目は輝いた。ふじわらは大金持ち、ひとまろは歌の神さまではないか。
 
少女の描いた未来の錦絵はなかなかに実現せず、かえって坂道を下るような貧しい季節がつづいていった。少女は一つまた一つと年を重ね、一つまた一つとその夢を願望を棄てていった。厳しい朔風の肌に突き刺さる冬の生活だった。降っても降っても降りやまぬ雪しまきだった。誰も訪れもせぬ誰も受け入れてくれぬ雪室の中で、できる限り体を丸め息をひそませ、ただに耐えつづけ待ちつづける幼い耳に、時折雪原を伝ってかすかな声がとどいた。「ふじわらとひとまろだよ。」いつしかそれは少女の護符となり血をぬくもらせ、吹雪の中で点滅する指灯となって凍え崩れかける背骨を支えつづけた。孤独の指をしゃぶる子のかけがえのない子守唄だった。
 
女の目と唇がほころび娘にほほえんだ。埃をはらいゆっくりとそのお伽の紐をほどいていった。が、お河童娘の聞きたい祖先とは氏でも名でもなかった。日本列島の、いやもっと遡った、地球上で初めに立った猿とも人ともわからぬものを指していたのだ。
 
それはあっけなくさらさらとこぼれていった。巻き返された時間もやたらと空転していってしまった。女は一つ大きな溜息をし遠くを眺めやりながら、やっぱり少しほほえんだ。そのとき小さな貝細工の宝箱に納められた幼い神話も女の胸の湖底に向かってゆっくりと沈んでいった。
 
 
  ( 坂本 梅子女 藤原 英一氏 佐々木イネ女 県文学祭受賞を祝して )
 
もしもロマンチックな市長さんがいて わたしの街に
詩人をいっぱい住ませたいと考えたら おかねのいらぬ
公園を わんさかどっさり造ったらいい 芝生と木蔭と
水の匂いに誘われて ピーター・パンやメアリー・ポピ
ンズもやってくる
 
この島に住む底辺の人たちは ずっとずっと古くから耐
えてきた 耐えることに慣れ やがて常識となり 美徳
模様の色紙で飾られ だが ヴ ナロード 肝心なこと
は その底辺に羅須地人協会があったということだ
 
仰げば遥か彼方の頃より 遠流 水刑 手鎖 獄舎 暗
雲の下に加えられた数々の圧迫 混濁する潮流の中での
受難を縫って それでもなお誕生し 生き 語らい続け
た彼らの鈴音は 彼らの本然の生の最中で ただひたぶ
るに振られたものなのだ
 
無防備 傷だらけ 裸身の言葉 宇宙の地球の人間の万
象の 胸うつもの 眼しばたたかせるもの 言わずにい
られぬもの この最底辺の生の中での衝動 消えても消
えても鳴らさずにはいられない業鈴 他からもみずから
も傷つきながら 熱い息を吹きかけて磨いた小さな鈴一
つを握りしめて行くしかない孤独な後姿たち
 
ある日 あなたのそばを つと通り過ぎた人から かす
かな鈴音が聞こえてきたら あなたの街には その詩人
が住んでいるということだ たぶん 振り返ったとてわ
かりはしない そこには ちっとも代わり映えのしない
人々の動きがあるだけだから
 
 
   *ヴ ナロード=ロシアの学生らは「ヴ・ナロード(民衆の中へ)」を合い言葉に、ミール(農村共同体)を基盤とする農村社会主義の実現を説いた。
**羅須地人協会=宮沢賢治が花巻農学校を退職し、一人の農民として農民とともに生きようとした建物。
 
  
  おはなし
 
まいちもんじの まゆげがぴくり
氷のマントが ぴかり
ごらん 雪姫がおりてくる
まっすぐに おりてくる
 
小さな家の お窓がかたり
小さな子どもが ふたり
ごらん 肩寄せて外みてる
いつまでも 外みてる
 
粉雪とんで お外はふぶき
北かぜはげしい ふぶき
ごらん あの中をかけていく
雪ひめが かけていく
 
小さな家の あかりがぴかり
外では 雪ひめ ひとり
ごらん 銀の髪なびかせて
さびしそう かなしそう
 
二本の指を そろえて二かい
くるくる まわしてみれば
ごらん 冬の夜の おひめさま
おやすみ と きえていく
 
 
  哀  哭
 
朝の陽に向かい
夕べの陽に向かい
おうおうと群がり行く
おまえの原罪は ささいなものであった
 
劫初 神が白衣の動物に色を与えた日
白鳥は白に満足し 鶯は緑を乞い
おしどりは多種の鮮やかさを少しずつ持ち
フラミンゴが紅色に酔い踊るとき
集まる鳥獣の誰よりも彼よりも
美しい色を持ちたいと考え願った
 
全ての動物が喜々として原野へ戻ったとき
おまえは神の手を撥ね除け ためらわず色壺に飛び込んだ
ある限りの色を持つことが美であると信じていた
壺から壺へ 全く真剣に身を潜めて飛び回るおまえに
神はじっと見守るだけで 語らなかった
 
本性の願望のままに色を求めた
おまえに 神の無言は苛酷であった
おまえの躯は 全ての色を集めて黒となった
おう 受容の色 暗黒の重さ
 
おまえは おのれの愚かしさを悔いた
雪解けの寒水でごしごし翼を洗った
染みついた黒はますます艶めいて漆に輝いた
孔雀の羽を貼りつけた
衆目の哄笑と村八分
 
あまりにも生きものでありすぎるために
ひたむきに悔いと過ちを繰り返し
爾来 哀しみや不安のことごとくさえ
おまえめがけて投げつけられる
忌みものとしての日日の連なり
 
だが 神の眼は今も光る
朝 陽に向かい
夕べ 陽に向かい
来る日来る日飛び続けるおまえの羽は
未来永劫
灼熱火焔の中の一点の汚点で終わる
おう
 
 
  はためくもの
 
風が草の上をかけてくる
ポケットからオレンジ色のハンカチを出して
なびかせる
  ピンぼけボケなすマトモじゃねえの
  モトもコもなくスカンピン
  ピンからサマにゃあなんねえだども
  たまにゃフロシキひろげたい
草頭の波なびき薄なびき苔もなびき
ふかれるか うたれるか
立つものよ
  パンくいミソくいコンゴラがるの
  ツーもカーもないトーヘンボクだども
  鼻の頭の脂をふけば オヒカエナスッテ
  テマエ チッポケなメローでゴザンス
燃えるときは立ち昇る火柱
駈け落ちる大滝のしぶき
はずむときはシャボン玉のきらめき
赤い靴のタップダンス
それら過ぎ去ったほほえましい健康な願望たち
  右手さしだし腰かがめれば
  上目遣いの鎌首姿態
  いどむジャガーの爪などねえの
  ダバダバゴボゴボしゃべればええの
地平に冬がみえる
泡だつものをふところ深くしずめ
そっと手袋をはめ暗い眼鏡をかける
青みどろの沼
葦のそよぎ
  まわせまわせ回転木馬の舌の根を
  ゴリゴリまわせ
  ムタイにまわせ
  四十肩ゴツゴツまわそでねえの
ああ オレンジ色の旗をもつ中空体
吹き抜ける風に
呼びかける声すらない
更新日時:
2005/05/27
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Last updated: 2008/2/27