五城目という町
ときえちゃが そばにいた
ときえちゃは にぎり飯をくれた
味噌ぬりの 大きなおこげ
手にあまる熱いにぎり飯をほおばり
広い土間を とことこ歩いた
ときえちゃの 背中にいた
割ばしのさきの飴をしゃぶりしゃぶり
太鼓とシンバルつきの紙芝居をみていた
みんなの頭の上の特等席
背中のぬくもりが 今も残っている
裏の畠をまっすぐ突っ切れば河
裾をはしょって 腰までつかり
息をこらして 底をみていた
小石のかげに 澄んだ魚がいた
ちろっと逃げた そのさきに
ときえちゃの 大きなあしがあった
かこいのある 高いお墓があった
大きいの小さいの三本が真中
まわりに お地蔵さまがいた
線香の前で 手をあわせ
隣を そっとうかがったら
倍より大きい てのひらだった
家の前が なめし皮屋で
後は 光った小石のある河
私の生まれた 五城目という町の
ありったけの おもいで
知っていることの全部が
たった これだけなのです
安楽温泉
桜並木
夕闇に浮かぶ合歓のおぼろさ
口をつぐんだ老紅梅の荒幹
渺々と広がる千刈の田園を見渡し
山肌にぴったり寄り添う鄙びた宿
竹林に覆われた底深い堤の奥の
白蛇の社に守られてか
たえることをしらぬ山の湧水
水桶をかついでよろめく影
鎌で切った指先が転がっている
飯の中の大根葉 南瓜の茎
ほのかな思慕をすてた小川のきらめき
突き放した人達への哀訴の山彦
遠い田圃の畦でなぐさめあった一輪の野菊
耐えることを語りかけた郭公の漣
旅立ちをすすめた蛙の潮騒
あれから二十有余年
丈に余る薄の上を風走り
名残の積乱雲が林立し
中天を碧空が突き抜けるとき
まだ旅装のままの自分をみる
傷痕をすて愛着をすてた筈だった
だが
苔むした足から あの交錯した桜並木に
鎖のように連なっている足跡をみる
安楽温泉宿
それは
私の原点なのだ
毬 花
晴れあがった黄玉の光を縫って、小さい風がまだはっきり冷たいままでかすめていく。橋には車輛があふれて連なり、時おり自転車が馳けぬける。見おろす堤防のくぼちに、陽ざしをいっぱいに浴び、こぼれたように点在しているみどりの毬花。
いやあ、こんにちは。咲きましたね。
幼いころはバンケ、長じてフキノトウ、老いてバッケ。イナダ・ハマチ・ブリは体長とともに呼称もかわり、出世魚などと呼ばれるが、言い方を変えたことで、わたし自身が成長したとは思わない。「バッケ」という切り口のような言い回しが、妙に気に入ってしまったのだ。
見渡せばまだまだ枯れ草ばかり。立ち枯れ折れ伏したままで乾ききり、やがてその足もとから新しい芽がで繁茂し、蔭り湿り朽ち果て、かれがそうしたように一滴の滋味となって呑まれる。河は碧水の帯。河床は雪解けにどれほどえぐられたのか。川洲中洲に鳥など遊ばせ、自若として彼我に全く寡黙である。
鳥は首をかしげる。二三歩あるく。羽をはたはたさせて飛びたつ。空には淡い黄が薄く地塗りされている。鳥は辷りあがり、翼を思いっきり開く。たっぷりの曲線。低く高く、大きく小さく。あきることのない幼児の無限遊戯。遥か川下にかすむ木材や浚渫船。
澄んだいちめんの黄緑たちの、天真の幼い華やぎに、ついつい窪地におりたち五つほど摘みとる。黄の軍手から立ち昇るいっぱいのほろにがい馥り。忘れていたふるさと。幻になった白い哀しみ。みんな今だったことのある浅春の光たち。
はい、今日も、いいお天気です。
一 本 松
さかのうえにまつあり
いききのおりにそばをとおる
そのまつはひとつのゆえに
ときおりにといかけてとおる
きみい としは ゆめは
ひざしがあるとゆきはとけて
がさがさのくろいはだがかたがわぬれる
とおいいつからそこにすんで
みのかさはもらったかい
たちははいたかい
いちめんのしろいしろいおかのかどで
しぶくくすんだはりのはがところどころひかる
みちにくるりとせなかをむけて
めいそうしてるのかいすねてるのかい
かぜをおってもせんないね
さかのうえにまつがあり
いききのおりにそばをとおる
ひとつまつはひとつのゆえに
ひとつにゆらぐたましいをとらえる
きみい てっぺんは さぶくないかい
尾 花 道
淡くしろい半月が南にあり
日射しは覗きこむように傾いて
すすきの花たちが泡だってなびきます
そのひとのことを想いうかべるとき
そのひとのことを考えているとき
きまって滲みてくるいたみを振り返ります
歳月にはおそろしいやさしさがあり
いたみが秋風の微笑に移りかわるころ
新しい世界が地平から澄んだ声でまねきます
淡くしろい半月のけっしてみせない裏を眺めながら
ひとが長い時間を美事に生ききるということは
荘重な啓示であると花たちはささやくのです
雪 解 け
みずたまりをいく
黄色い長靴
みずたまりに空
底なしの藍のめくらめき
みずたまりは光
ふたたび訪れるかげろうのときめき
雲とあそぶ カナリヤ
竹
かぜあれ ゆきつもり
竹はめどき
あらがわず めくらみもせず
ひたすら ためそだてためてたくわえ
竹が竹であるかぎり
みちみちた無心の弾力は
必ずめぐりくるそのいつかに
音あおあおとはじきかえる
さわやかに すこやかに
山 湖
わたしのなかにかぜがあり
わたしのまわりにかぜがうまれ
わたしのなかにゆきがふり
わたしのまわりにゆきふりしきり
こおらぬみずうみのきりぎしに
たましいはひえびえとたたずみ
しののめのあたらしいひとすじの
くもまからなみまにきえていき
いちねんの護符はひたいにさげられる
初 夏
今年はじめての朝顔は大輪の藍
雛罌粟たちの首筋がゆれる
奥羽山脈を走り抜けて
ちいさい賑やかな旅をした
岩手山麓に生きた詩人たちの
果てたあとの華麗さにしばたたいたりして
泣けと鳴れとを重ねられた短冊の
北上土産の青銅の風鐸は風のままに揺れ止まず
冴えた光が
まっすぐに馳けていく
雨 期
八ツ手と無花果の葉のなるおとがして
冥い世界になる
さみしいときあえぐときもとめるとき
ひとは真っ白い兎になって耳をたてる
絶唱もしらず亡んでいった あまたの
見開かれた紅玉たちの灯はどこへいったか
乾坤をうめる滴と雲霧にさまよい
おのれのふるさとを探して濡れそぼつ
兎よ
この雲のうえに月がある
便 り
投げ入れの白い桜花のかたまりを
遠いひとの窓べにそっとおく
おげんきですか
椿もレンギョウもチューリップも水仙も小さい庭にあふれ
買いもとめた種袋の花絵たちも机上にひろがり
しあわせとかふしあわせとかの花占を浮かべます
あたらしい種の一粒一粒にこもる今年の喜びと哀しみのエネルギー
思いっきりよくみんな大空に蒔きあげて
多彩な花天をつくりましょう
失われた神々や鳥獣たちがふたたびあらわれて
あなたに夢や加護がとどくように
口 笛
ゆきどけのほうじょうのなぎさの
きびしいつめたさにしびれたちすくみ
おもわずもろてをあげる
しんようじゅのとったんのせんりつ
たまことだまむれなしてへめぐりめぐり
あわあわとむなしさのたちこめる
さきゅうはなみだのひものたちであふれ
はたはたかげぼうしちぎれとぶ
なみはざまふゆうするすてんどぐらす
こんしんのかなしいめいろあそび
ねがいかたくめぶけぬままりさんし
えいごうのときのうたかぜをかる
いつかならされていくこ
きょくをさしてたてるはだれ
ちはあくまでかたらず
てんまたむしんにこうばく
はるかなるくちぶえふく
ぐんじょうのひとみひとつ
幼い神話
「わたしの祖先はだれ?」お河童頭の娘がいった。鍋の底を洗っていた手が止まり、見知らぬ人を見るように女は振り返った。「ね、かあさん、わたしの祖先はだれ?」いつかどこかで聞いたことのあるその声。いつか、どこかで。
無意識にたぐり寄せる時間の中に、やがてそれをみつけた。そうだった。女がまだお下げ髪の頃、やっぱりそうやって聞いていたのだ。「わたしの先祖はだれ?」と。母は背中を向けたままさりげなく「とうさんの方がふじわらで、かあさんの方がひとまろだよ。」といったものだ。少女の目は輝いた。ふじわらは大金持ち、ひとまろは歌の神さまではないか。
少女の描いた未来の錦絵はなかなかに実現せず、かえって坂道を下るような貧しい季節がつづいていった。少女は一つまた一つと年を重ね、一つまた一つとその夢を願望を棄てていった。厳しい朔風の肌に突き刺さる冬の生活だった。降っても降っても降りやまぬ雪しまきだった。誰も訪れもせぬ誰も受け入れてくれぬ雪室の中で、できる限り体を丸め息をひそませ、ただに耐えつづけ待ちつづける幼い耳に、時折雪原を伝ってかすかな声がとどいた。「ふじわらとひとまろだよ。」いつしかそれは少女の護符となり血をぬくもらせ、吹雪の中で点滅する指灯となって凍え崩れかける背骨を支えつづけた。孤独の指をしゃぶる子のかけがえのない子守唄だった。
女の目と唇がほころび娘にほほえんだ。埃をはらいゆっくりとそのお伽の紐をほどいていった。が、お河童娘の聞きたい祖先とは氏でも名でもなかった。日本列島の、いやもっと遡った、地球上で初めに立った猿とも人ともわからぬものを指していたのだ。
それはあっけなくさらさらとこぼれていった。巻き返された時間もやたらと空転していってしまった。女は一つ大きな溜息をし遠くを眺めやりながら、やっぱり少しほほえんだ。そのとき小さな貝細工の宝箱に納められた幼い神話も女の胸の湖底に向かってゆっくりと沈んでいった。
鈴( 坂本 梅子女 藤原 英一氏 佐々木イネ女 県文学祭受賞を祝して )
もしもロマンチックな市長さんがいて わたしの街に
詩人をいっぱい住ませたいと考えたら おかねのいらぬ
公園を わんさかどっさり造ったらいい 芝生と木蔭と
水の匂いに誘われて ピーター・パンやメアリー・ポピ
ンズもやってくる
この島に住む底辺の人たちは ずっとずっと古くから耐
えてきた 耐えることに慣れ やがて常識となり 美徳
模様の色紙で飾られ だが ヴ ナロード 肝心なこと
は その底辺に羅須地人協会があったということだ
仰げば遥か彼方の頃より 遠流 水刑 手鎖 獄舎 暗
雲の下に加えられた数々の圧迫 混濁する潮流の中での
受難を縫って それでもなお誕生し 生き 語らい続け
た彼らの鈴音は 彼らの本然の生の最中で ただひたぶ
るに振られたものなのだ
無防備 傷だらけ 裸身の言葉 宇宙の地球の人間の万
象の 胸うつもの 眼しばたたかせるもの 言わずにい
られぬもの この最底辺の生の中での衝動 消えても消
えても鳴らさずにはいられない業鈴 他からもみずから
も傷つきながら 熱い息を吹きかけて磨いた小さな鈴一
つを握りしめて行くしかない孤独な後姿たち
ある日 あなたのそばを つと通り過ぎた人から かす
かな鈴音が聞こえてきたら あなたの街には その詩人
が住んでいるということだ たぶん 振り返ったとてわ
かりはしない そこには ちっとも代わり映えのしない
人々の動きがあるだけだから
*ヴ ナロード=ロシアの学生らは「ヴ・ナロード(民衆の中へ)」を合い言葉に、ミール(農村共同体)を基盤とする農村社会主義の実現を説いた。
**羅須地人協会=宮沢賢治が花巻農学校を退職し、一人の農民として農民とともに生きようとした建物。
おはなし
まいちもんじの まゆげがぴくり
氷のマントが ぴかり
ごらん 雪姫がおりてくる
まっすぐに おりてくる
小さな家の お窓がかたり
小さな子どもが ふたり
ごらん 肩寄せて外みてる
いつまでも 外みてる
粉雪とんで お外はふぶき
北かぜはげしい ふぶき
ごらん あの中をかけていく
雪ひめが かけていく
小さな家の あかりがぴかり
外では 雪ひめ ひとり
ごらん 銀の髪なびかせて
さびしそう かなしそう
二本の指を そろえて二かい
くるくる まわしてみれば
ごらん 冬の夜の おひめさま
おやすみ と きえていく
哀 哭
朝の陽に向かい
夕べの陽に向かい
おうおうと群がり行く
おまえの原罪は ささいなものであった
劫初 神が白衣の動物に色を与えた日
白鳥は白に満足し 鶯は緑を乞い
おしどりは多種の鮮やかさを少しずつ持ち
フラミンゴが紅色に酔い踊るとき
集まる鳥獣の誰よりも彼よりも
美しい色を持ちたいと考え願った
全ての動物が喜々として原野へ戻ったとき
おまえは神の手を撥ね除け ためらわず色壺に飛び込んだ
ある限りの色を持つことが美であると信じていた
壺から壺へ 全く真剣に身を潜めて飛び回るおまえに
神はじっと見守るだけで 語らなかった
本性の願望のままに色を求めた
おまえに 神の無言は苛酷であった
おまえの躯は 全ての色を集めて黒となった
おう 受容の色 暗黒の重さ
おまえは おのれの愚かしさを悔いた
雪解けの寒水でごしごし翼を洗った
染みついた黒はますます艶めいて漆に輝いた
孔雀の羽を貼りつけた
衆目の哄笑と村八分
あまりにも生きものでありすぎるために
ひたむきに悔いと過ちを繰り返し
爾来 哀しみや不安のことごとくさえ
おまえめがけて投げつけられる
忌みものとしての日日の連なり
だが 神の眼は今も光る
朝 陽に向かい
夕べ 陽に向かい
来る日来る日飛び続けるおまえの羽は
未来永劫
灼熱火焔の中の一点の汚点で終わる
おう
はためくもの
風が草の上をかけてくる
ポケットからオレンジ色のハンカチを出して
なびかせる
ピンぼけボケなすマトモじゃねえの
モトもコもなくスカンピン
ピンからサマにゃあなんねえだども
たまにゃフロシキひろげたい
草頭の波なびき薄なびき苔もなびき
ふかれるか うたれるか
立つものよ
パンくいミソくいコンゴラがるの
ツーもカーもないトーヘンボクだども
鼻の頭の脂をふけば オヒカエナスッテ
テマエ チッポケなメローでゴザンス
燃えるときは立ち昇る火柱
駈け落ちる大滝のしぶき
はずむときはシャボン玉のきらめき
赤い靴のタップダンス
それら過ぎ去ったほほえましい健康な願望たち
右手さしだし腰かがめれば
上目遣いの鎌首姿態
いどむジャガーの爪などねえの
ダバダバゴボゴボしゃべればええの
地平に冬がみえる
泡だつものをふところ深くしずめ
そっと手袋をはめ暗い眼鏡をかける
青みどろの沼
葦のそよぎ
まわせまわせ回転木馬の舌の根を
ゴリゴリまわせ
ムタイにまわせ
四十肩ゴツゴツまわそでねえの
ああ オレンジ色の旗をもつ中空体
吹き抜ける風に
呼びかける声すらない
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