図書館へ行ったついでに新聞を見たら載っていて面白かった。
引用開始
《いま出版は「冬の時代」だ。それでも志を胸に、わが町で本を出す人々がいる。それぞれの地方で筆者を探し、原稿を待ち校正をくり返し、在庫を抱え、印刷会社への支払いに悩みながら。》
引用終わり
13回2/14で終わっていた。
この取材の申込は秋田文化出版にもあった。しかし、伊藤社長が、自分は本作りのことはわからないといって、本作りも経営のこともわかる前社長の吉田総耕氏(仙台在住)に回そうとした。吉田氏は、仙台と秋田を一週間交替で往復しているので、取材も仙台でと連絡していた。結局取材を受けたのかどうかはわからないが、新聞に載っていなかったところを見ると、受けなかったのかも知れない。それとも、語るようなドラマはなかったので、載らなかったか。
秋田文化出版は、たぶん連載の趣旨とは違って、主として自費出版をやっていたので、借金をしてまで何らかの企画本を出すというような志はなかったといっていい。かりにあったとしても、それが形になっていなければないということと同じことだ。
小生に限れば、べつに自費出版のみの、編集プロダクションと同じでもかまわなかった。秋田文化出版社(秋田文化出版になる前の会社)がだめになり、秋田文化出版になったときから、抑圧的な社長のもと、企画をしようというような気持ちはなくなったいた。吉田朗氏が会社をだめにしたことを、なぜだめになったのかもよくわからないまま(口ぶりから判断して)、やり方を批判していた。自分が社長をしていた印刷会社に秋田文化出版社が借金があったので、つぶれると、自分の業績にひびくこともあり、そのまま引きうけたようなところもあった。会社を引き継いだことを、恩着せがましく、何度言われたことか。(そのぶん、前の会社よりは、給料が上がっているとしても。)
ある時は、うるさい社長に会いたくないばっかりに、帰社して直ぐ別の所に行ったとき、事故ってしまったことがある。前方不注視で。
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